オーダースーツ 銀座英國屋コラム丸縫い職人インタビュー、オーダースーツ縫製の哲学とは?
丸縫い職人インタビュー、オーダースーツ縫製の哲学とは?
今回は、弊社の誇る丸縫い職人である水本のインタビュー記事を掲載いたします。コンテスト等で多数の受賞歴があり、日本でもトップクラスの腕を持つ縫製技術者です。齢70を超える彼は、半世紀にわたり銀座英國屋で何千着ものオーダースーツの縫製を担ってくれました。まさに銀座英國屋の、そしてオーダースーツ業界の生き字引とも言える貴重な存在です。
このインタビューは、工房の縫製の雰囲気や、高い技術力を持つ職人の仕事哲学などに触れていただける内容になっています。オーダースーツにご興味のある方はぜひご一読ください。
目次
フルオーダースーツ縫製の指導
Q:今の仕事の内容はどのようなものでしょうか?
A:一着縫い(丸縫い)と若手縫製職人への指導です。
Q:一カ月に何着ほど縫製していますか?
A:多くても3〜4着しかできないですね
Q:一番多い時は何着くらい縫われていましたか?
A:銀座英國屋に入ってからは、月12着は縫製していました。若かったですし、時間もありましたから。今は休みますが、当時は土日祭日にも出たりしていました。
ただ最近は、年齢にはあらがえず、全体的に着数は減ってしまいました。
Q:指導されているということですが、誰に指導していますか?
A:オーダースーツ縫製工房[WU1]の技術員に指導しています。
Q:今でも工房で指導をしていますか?
A:難しい仕事に関しては、職人さんが私のところに聞きに来るので、指導することもあります。
また、月に2回くらい、4名ほどを対象に「水本教室」という名称で指導をしています。
会社から若手の指導の要請があり、若い熱心な職人がいることを知っていたので、引き受けました。私が丸縫いをしていると、若い職人さんがよく日曜日とかに見に来ていたんです。そういう熱心な子がいたから、こんな子がいるのだったら教えようという気になったのが始まりです。 水本教室には、多い時は7人ほど生徒がおりました。その教え子たちは、現在はオーダースーツ縫製工房で働きながら、たまに習いに来るといった感じです。今工房長をやっている水沼くんも、水本教室に7年ほどおりました。
師匠の技術を見て盗んだ
Q:アパレル業界に入るきっかけはなんでしたか?
A:田舎(徳島)の商店で生まれ育ちました。洋服はもともと好きだったわけではなく、ただ手に職をつけたい、商売をしたい、と考えていました。
15歳の時に、大阪に出ました。当時、職業安定所で募集をしていた仕事です。知識は何もない。いわゆる集団就職ですね。賄いつきの住み込みで5000円。映画が2本で200円という時代の話です。
Q:当時の修行はどうでしたか?
A:ただただ覚えたいという一心でした。朝は5時に起床し、寝るまで仕事。この時は師匠について、その辺の掃除からはじめ、三年半で、スラックスから礼服まで習得できました。
夢中でやりました。今のように細かく教えてもらうのではなく、見て覚える感じでした。今の若い子にも言うけど、自分が覚えようとすれば100%身につくけど、言われて覚えることは、いくら説明しても半分くらいしか身につかない。そんなもんなんです。教える側はすべて話したつもりでも、教わる側にそのつもりがなければすべては身につかない。繰り返しやらないと覚えられないんです。
Q:教えてもらえないということですが、どうやって習得していたのですか? A:当時はみんなそうでしたが、私も見て盗んでいました。仕事しながらでも師匠をチラチラ見ていました。三年半でよく礼服、モーニングまで覚えられたと思います。しかも実は燕尾服までもやったんです。燕尾服なんてそうそう縫える人はいません。でもそういう機会があって。縫ったものも当時はすでにお客様にお納めしていました。
会社からの帰りは、次々と新しくなっていく街のショーウィンドウを眺めて回る毎日。他の会社のスーツを見れば、どんな工夫をしたかすぐわかりました。
肩線の工夫、ラペルのラインについては説明してもなかなか難しいと思います。一般の人だと流れて見てしまうところも見ていました。それを技術面で見ると全く違うように見えます。
当時は注文服が主流でした。1ヶ月の月給ではとてもスーツは買えません。オーダースーツは高級品でしたから。でもみんなそんなオーダースーツに憧れを持っていました。
銀座英國屋との出逢い
Q:銀座英國屋に入社したきっかけ
A:21歳の時、大阪の洋服組合で小林新三郎さん(銀座英國屋創業者)が話をするということで、初めて銀座英國屋という名前を知りました。とてつもなく大きい洋服屋さんが来ると、とても話題になって。
それから2年後、23歳の時に「全日本紳士服技術コンクール」で今度は最高位の賞をもらいました。コンクールはコンクール用の勉強をしないといけないと知ったのはその時です。見られる視点も違うし、素晴らしい作品ばかりだったのを覚えています。コンクールで評価してもらうために、デザイン、柄、生地から勉強しました。それくらい力を入れてやったんです。
その後東京に来るという大きな決断をしました。関東や東北の人は、みんな起きたらすぐ仕事しているし、寝る間を惜しんで仕事をしているのを間近で見て、自分も頑張りました。
「覚えたくてしょうがない」という気持ち
Q:育てるためには根気が必要ですか?
A:覚えるときはそうですよね。ただ会社に「覚えなさい」と言われたから、というのでは覚えられない。自分が本当に「覚えたくてしょうがない」という気持ちがなきゃ。それだけの心積もりが必要です。
Q:スーツづくりで大切にしていることは何ですか?
A:プレタポルテというのは、「これいいな」と気に入ったらそのまま買っていきますよね。ただオーダーの場合はお客様が「これを作ってください」と、わざわざいらっしゃる。そんなお客さんの要望に応えなきゃいけません。まずその気持ちがないとダメです。
プレタポルテはモノありきのお客さんです。対してオーダーはお客さんに合わせます。だからお客さんの好みとか体型とか、そういったことが分からないとできないんです。私は個人の店で、お客さんが来たら「いらっしゃいませ」と言うところから見て育っています。仮縫いしてお客さんが着てる姿、喜んでいる姿を見ていますから、それが今も残っているんです。
Q:技術面で、大切にしている事は何ですか?
A:もちろん針の持ち方も大切ですが、実は針を持つ反対側の左手がものすごく大事。左手の生地の持ち方によって出来が全然変わってくる。そのあんばい加減がとても難しいことですが、そういうことを教えています。
「汚い」でもいいからとにかく感じること
Q: 感性を磨くために、大切にしている事は何ですか
A:若いころから、良いところも悪いところも探していました。感性が大事だと思いますが、何でも感じるということですね。良いものだけでなく、悪いものも感じなければ分かりません。
私が仕事を覚えるときに言われたのが、洋服を見て悪いところがあれば、「こういう服は作らないぞ」と思わなきゃダメだと。どうしても自分がやっていることは自分贔屓になってしまう。そうではなく、他の人がやっているのを見て「汚い」と思ったらそうはならないようにしなきゃならないと。
他人の物だと客観的に受け入れて感じることができます。自分のだけしか見ていないと、「一生懸命やってるんだから」と贔屓してしまう。でもそれじゃいけません。人のを見て「私はこうはしない」と思えば、自分の身にすんなり入ってきます。
銀座で働いていた時は、お昼を食べた後に画廊に立ち寄ってから帰っていました。そこでいろいろなものを見て、感じていました。
また若いころは山登りが好きで、北、南、中央アルプスに登っては写真を撮っていました。そういうところで美しいと感じたことを、ものづくりにつなげていくんです。感じることが大事なんです。感じるのは、絵をみても山をみても感じる。感じて良いものを作る。
Q:モノづくりでには「才能」は必要でしょうか?
A:もちろん才能はあった方がいいですが、生来器用な人もいれば、不器用な人もいます。でも努力次第で、不器用な人でも服は作れるようになるんです。逆に器用な人は、才能があるが故にあまり考えなくなっちゃう。そういう人を多く見てきました。
洋服は足し算と引き算がわかればできます。特別難しいことを考えなくていい、ということです。大事なのはとにかく感じること。美しいものを見たら美しいと、かわいいものをみたらかわいいと。汚いと思ったらそうしなきゃいいんだから。それが「感性」でしょう?
迷ったら基本に戻る
Q:若手の教育で大切にしていることは何ですか?
A:理論的に作る、見せる。その繰り返しです。今は理論から入らないと納得してもらえません。昔は見て覚えるのが当たり前でしたけど。
Q:モノづくりに対しての心得を教えて下さい。
A:「気持ち」です。気持ちというのは、洋服でしたら「お客さんが喜ぶ姿」です。私は喜ぶ姿を見て育ちました。ただやればいいんじゃない、ということを、大事にしています。
若い職人さんにも、そのあたりの基本だけはしっかり教えているつもりです。理論を伴った基本。長いことやっていますから、そういうことも解っているつもりです。迷ったら基本に戻る、ということですね。
Q:若手の教育で大切にしていることは何ですか?
A:仕上がったものを謙虚な目で見る。「こんなものだろう」って思っちゃダメなんです。率直に見る。「自分たちが作ったから」という目で見ちゃダメ。率直に欠陥を見る。謙虚っていうのは欠陥を見るってことですから。
謙虚がなければ欠陥を見落としてしまう。見えてても見えてないふりをしてしまいます。そうではなくて、きちんと悪いところを謙虚に見て、そして良くしようと思わないといけません。
水沼工房長について
Q:水沼工房長はどのような生徒でしたか?
A:水本教室は生徒にものすごい情熱があり、基本土日は休みなのですが、土曜日もほとんど出てきて仕事していました。若い子がやりたいというから私も出ていましたね。それくらい情熱がありました。
水沼工房長も「教えられたことだけじゃなく、製図からすべてものにしよう」と、とても意欲的でした。彼には7年間そばで教えました。それこそ、何でもできるようになったと思います。
彼が工房に戻ると、それまで工房は「それは、できません」ばかりだったのが、今はなんでも「できます」と返してくれるように変わりました。彼のおかげですごく変化したんですね。
もっと水本教室で教えたかったのですが、今でも彼はコツコツ勉強していて、時々また新しいものにも挑戦しているみたいです。だから彼もほとんどのスーツを縫うことができます。モーニングから燕尾から。ずっと努力を続けている努力家ですね。
Q:水沼工房長への期待を教えて下さい。
A:全部教えたから、工房でいろんなことができるようになりました。和服のコートなど、特殊なものはほとんど教えました。
難しくて私のところに回ってきたものを、わざと工房に戻したりもしています。「そっちでできるから、やりなさい」と。育てるにはそれが大事だと思います。工房で育てる。そばにいなくても人は育ちます。離れても師弟関係は変わりませんから。
若いと、いろんなことをやりたがります。人がちょっと違うことをやっていると、やってみたくなるものです。変わったことは挑戦してみるべきです。いろいろなことに挑戦させて、本当にダメならストップをかけてあげる。やることを全部否定してもダメですね。やらせて気づかせるようにしています。
長生きして若い職人さんに経験を伝えていきたい
Q:スーツを作るときは完成形のイメージがあるのですか?
A:あります。目の前の仕事をやっている時は、そのことだけに集中すればいいのですが、最後はこうなると決まっています。この歳になれば、引き出しもやり方も色々ありますね。
Q:会社の魅力は何でしょうか。
A:長く働ける環境だということです。職人もいっぱいいて、それぞれ刺激し合うこともできます。大きな会社だから収入も安定しています。
Q:大切にしている言葉を教えて下さい。
A:「われ以外みなわが師」というのが大好きな言葉です。
吉川英治の造語らしいですが、素晴らしい言葉です。良いことも悪いことも、全部師なんです。
Q:これから何を目指しますか?
A:いろんなことをやってきました。半世紀、楽しませてもらいました。これからはいろんな経験を伝えていこうと思っています。長生きしなきゃ。
監修者
小林英毅(銀座英國屋 代表取締役社長)
1981年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。 オーダースーツ銀座英國屋の3代目社長。 青山学院大学ファッションビジネス戦略論・一橋大学MBA・明治大学MBA・ネクストプレナー大学にてゲスト講師。 銀座英國屋は、創業80年。東京銀座・東京赤坂・オークラ東京・大坂梅田・大阪あべのハルカス・名古屋・京都・奈良に店舗展開。
ビジネスウェアを選ぶ際の「どなたから、信頼を得たいか?」という視点を軸に、オーダースーツについて、お役に立つ情報をお届けいたします。
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